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写すアート|U・TSU・SU

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写すアート|UTSUSU

​「写す」とは――

能面制作には、「写す」という伝統的な手法があります。

それは、代々伝わる能面の型を継承し、写し取るように同じにつくること。

​​

しかし、「写す」とは、単なる再現ではありません。

色や形だけでなく、傷や汚れ、経年による変質──

つまり、その面が歩んできた歴史ごと、写すのです。

時間の流れの中で面が纏ってきた“気配”もまた、写し取る対象となります。

それは、能の精神性や美意識までも写し、受け継ぐ行為といえるでしょう。

私の写すアートは、この“写し”の文化をもとに、四つの「うつし」を重ねる試みである。

 

​1.古面を写して、新たな面をつくる。(物質としての写し)

2.その面を写真に写し、三次元から二次元へとうつす。(視覚の写し/位相のうつし)

3.写真を見たとき、観る者の脳にイメージがうつり、心に何かがうつり込む。(感応の写し)

4.それは実のところ、能面に投影されていたあなた自身の心なのかもしれない。(逆写し)

 

能面は、写すことで鏡となり、静かに心を映し返す。

このアートは、そんな“うつし”の連鎖の中で生まれています。

作品タイトル: on a table

2023年 木材・顔彩・写真

これは、机の上に置かれた木彫りの能面、つまり「モノ」の写真である。
しかし、人はそこに「顔」を見、命を感じてしまう。
この作品は、その“感じてしまう力”そのものを写している。

on a table #1
on a table #2
on a table #3
on a table #4

「これはただの木の塊か? それとも人の顔か?」

​能面を机の上に“置く”という行為は、
舞台や祭祀から引きはがし、まるで“標本”のように見せる行為である。

だが、その“標本”からなお、「顔」が立ち上がる。

人間の脳と心は、顔を認識する力によって、
たとえモノであっても、“命”を見出してしまう。

「on a table」は、「存在」と「非存在」の狭間を問う。

木でできた面を見て、命を感じるとしたら、
命とは、存在とは、どこに宿るのか?

inst泥眼金春.jpg
inst老女小町.jpg

​表情変化――

無表情の比喩に用いられる能面ですが、実際の能面は繊細にその表情を変化させます。

とくに女面には、その表情のゆらぎが顕著だといわれています。

次の瞬間に何らかの表情をする、その一歩手前、表情になる前の表情――

そんな表情をしているが故に、揺らぐように表情が浮かび上がるのです。

それは、数百年前の能面師が紡ぎ出した匠の技であり、その面を写すことで、人を惹きつけてやまぬ魅力が、今も連綿と受け継がれています。

作品タイトル: うつろい―U・TSU・RO・I― 

2022年 木材・顔彩・写真

utsuroi #1

utsuroi #2​

utsuroi #3

​​

これは、一つの能面が見せる表情の変化を写した作品である。
面をわずかずつ動かしながら撮影した三枚の写真を重ね、
表情がうつりゆく、その瞬間をとらえた。

表情が変化するということは、そこに動きがあり、時間が流れているということ。
写されたのは、うつろう時間であり、
その移ろいが、観る者の心に何をうつすのかを問いかける。

能面は、何も語らず、ただ静かに、うつし返す。
この作品は、「うつす」「うつる」「うつりゆく」――
その連なりをかたちにした、写すアートである。

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