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身体アート|面ドロイド

-MENdroid-

面ドロイドとは、能面と人間の融合体である。
​それは、能面による人間の身体の乗っ取りから始まった――

能面をかぶってはいけない――

能楽師は、能面を顔に「かける」。決して「かぶらない」。

能楽師にとって、能面は舞台を共創する相棒であるけれども、決して一体化してはならないのだそうです。

「かぶる」とは、能面と同化することを意味し、能面に飲み込まれることを許すことになってしまいます。

あくまで、主は能楽師であり、能面は制御される側にあり、そうでなければならないのです。​

――では、もし能面にかぶられてしまったら……?

タイトル:面ドロイド ―MENdroid―
2019年–

ミクストメディア:木彫彩色(能面)、写真(身体:麻生りり子/撮影:中野達也)、テキスト(短編物語)

​(目次)
01|第一章 ≪融合≫
02|第二章 ≪解放≫
03|第三章 ≪暴走≫

 

 

面ドロイドは、能面という「顔」が身体を獲得することで、新たな存在へと変容する過程を探るミクストメディア作品である。

タイトルは「面=mask / face / men(人間)」と、「アンドロイド(android)」に含まれる -oid(〜のようなもの)を重ねた造語である。

 

ここで描かれる「面ドロイド」は、機械の身体を持つロボットではない。

それは、能面を起点として生まれた、極めて人間に近い生命体である。

身体は、顔を“動く存在”へと変容させる鍵であり、

本作は、顔・身体・意識という三要素の関係性を通して、「人間らしさとは何か」を再考するものである。

本シリーズは、木彫彩色による能面、写真による身体、テキストによる短編物語を融合させ、

「人間とは何か」「主体とはどこにあるか」を観る者に静かに問いかける。

第一章 ≪融合≫
lilymask.jpg

――それは、乗っ取りから始まった。

 

顔しか持たない‘彼女’は、身体を欲していた。自由に動ける身体を。

 

私の身体は、いとも簡単に乗っ取られた。

もはや私の身体は、私のコントロール下になく、いまやアンドロイドの機械のボディのようなものに過ぎず、彼女の傀儡となり果てた。

 

私は、元の私ではなくなった。

と同時に、彼女も顔だけの彼女であった時と同じではない。

 

これは、融合だ。

私と彼女は一体となり、別の何かへと変化を遂げた。

 

彼女は、自身を「胡蝶」と名付けた。

青虫はサナギの中で身体をドロドロに溶かし、蝶へと変貌を遂げる。

彼女は、胡蝶へと生まれ変わった。そして、私も。

 

これは、融合。

能面であった彼女と、人間である私の。

そして、そこから――物語が始まった。

(コンセプト) 面ドロイド 第一章「融合」(2019)ミクストメディア 能面という顔が、人間の身体を得て動き出す。 本章では、顔と身体の「融合」によって、能面と人間が一体となり、まったく別の存在が誕生する過程を描く。 この融合において、「わたし」のものであったはずの身体は「彼女」のものとなり、 意識と身体、主と従の関係もまた揺らいでいく。 “顔が身体を得たとき、人間はどこにいるのか?” その問いを投げかける、シリーズの起点となる章である。

​​能面が表情をしてしまう――

​とても豊かに表情を変化させる能面ですが、能舞台上では、能面が露わに表情を見せることはありません。

昭和のシテ方の第一人者と名高い観世寿夫師が、寄稿文に、能面についてこんな言葉を寄せていました。

――自分の顔の角度をうっかり動かせば、面が表情をしてしまう。

その言葉に、目から鱗が落ちました。

能楽師にとって、能面とは「表情をしてしまう」ものだったのです。

――だから、1センチといえども余分に動かすことはできない、と仰る。

能面とは、いとも簡単に表情をしてしまう。

ゆえに、​​必要以上の表情をしないように、鍛錬によって培った心身で制御されていたのです。

――では、もし、能面がそのコントロール下を離れ、自由を得たとしたら……?

・・・・・
・・・・・
第二章 ≪解放≫

‘彼女’は、解放された。

そして、封じられていたもの――表情を解放する。

胡蝶は、口元に笑みを浮かべた。とてもうれしそうに。

そうかと思えば、視線を落とし、物思いに耽った。

はるか遠くを見やり、思いを馳せているようだった。

憂いを帯びた目で、儚げに微笑み、何かを目論んだ。

胡蝶は何を目論んだ?

(コンセプト) 面ドロイド 第二章「解放」(2019)ミクストメディア 身体を得た能面=胡蝶は、「表情」を解き放ち始める。 従来、役者に制御されてきた能面は、 この章では自らの意志で感情を表現する存在へと変化していく。 微笑み、沈黙、憂い、儚さ―― 表情の変化は、内面と外面の境界を崩し、 能面が本来備えていた「感情の核」が顕在化していく。 これは、「制御される顔」から「表現する顔」への転換である 。

​「写す」という行為――

能面を写すという行為は、生命が遺伝情報をコピーし、種の保存を図るのと似ている。

能面師は己を無にし、目の前の能面に埋没し、写しをつくる。

​だとしたら、能面師は、その遺伝子情報を運ぶ乗り物にすぎないのではないだろうか。

​もしかしたら、我々人間は、能面の増殖に利用されているだけなのかもしれない――

第三章 ≪暴走≫

己の顔の

写しをつくり、

増殖。

「え? わたしも体が欲しい、ですって?」

胡蝶が、私を身体に選んだのには理由があった。

彼女の目論見――それは、増殖。

 

彼女は、私の身体を使い、自らの写しをつくる。

胡蝶は自らの遺伝子情報をコピーし、増殖する。

――なんのために?

 

私は、ただの傀儡、ただのボディに過ぎない。

私の意識は、彼女のウラ側の奥底に沈められている。

彼女の思惑に操られ、彼女の暴走に加担する。

 

つづく

(コンセプト) 面ドロイド 第三章「暴走」(2019)ミクストメディア 胡蝶は、自己を複製し始める。 彼女が人間の身体を獲得した目的は、“存在の増殖”にあった。 能面の複製という技法を取り込みながら、胡蝶は自らの“写し”を生み出す装置となっていく。 この暴走により、奥底に沈められた「わたし」の意識とは無関係に、私の身体は「道具」と化す。 主体と客体、制作と被制作の関係は反転し、 “人間とは何か”“オリジナルとは何か”という問いが、鋭く突きつけられる。

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