


Blue Earth
2020 木材・胡粉・顔彩
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制作・能面師:麻生りり子 | Creator / Noh Mask Artist: Lilico Aso
身体:麻生りり子 | Body: Lilico Aso
撮影:中野達也 | Photography: Tatsuya Nakano
Statement|面と身体の関係性 ― 面ドロイド・Blue Earth
本作は、「面に身体性を提供する」という前提で面を装着した“私”が、 無自覚のうちに意識を沈殿させ、やがて自我を喪失していくプロセスを扱っています。 装着中、私の主体性は次第に希薄化し、 その下で面の表象が、顔の表面にじわじわと浸透していきます。 やがて、面を外した時に残っているのは、 元の「自己の顔」ではなく、Blue Earthの表象が不可逆的に刻まれた“他者の顔”。 「他者の顔が、自己の顔に転写される」 その過程そのものを可視化することが、本作の主題です。
Statement|作品コンセプト ― Blue Earth
本作《Blue EARTH》は、地球を象徴する能面を通じて、 「人間存在と環境との非対称的な関係性」を視覚化する試みである。 この面は、地球の化身として彫られているが、そこに神性や擬人化の意図はない。 むしろ、「沈黙する他者」としての地球を造形することで、 見る者に対して人類中心的な視点の転換を促す。 制作者の身体はこの面を介して、一時的に“地球”の顔となるが、その依代としての身体は、地球の存続にとっては可逆的であり、交換可能な存在である。 一方、身体にとって地球は、決して代替不可能な環境=条件である。 この非対称性は、自然環境に対する人間の“無自覚な存”と、“自律幻想”の危うさをあぶり出す。 また、面を通して「語らぬ存在に表情を与える」という行為自体が、自然への投影と構築を同時に孕んでいる。 本作は、自然(地球)を「擬似的な母胎」と見なす視座—— すなわち、我々が決して逆に胎内へと還れない片方向の関係性——にも通じる問いを投げかけている。 《Blue EARTH》は、面という文化的メディアに「環境の顔」を刻むことで、 「人間による自然の再表象は可能か」という問いを浮かび上がらせる。 それは、現代における“表象の倫理”と、“身体を媒介にした関係性の構築”に対する一つの応答である。